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2006/07/07(金) 16:17:45 [旅行]

ローマに着いたのは、6月28日午後4時半。ローマに行くまでに「ローマ人の物語(塩野七生著)」を読もうという、随分前からの野望が潰えました。

その日は、ホテルにチェックインした後、テルミニ駅からトレビの泉、スペイン広場、ポポロ広場あたりまで歩いて往復。ローマって結構アップダウンがあるんですね。

翌日は、まずバチカンへ。その日はたまたま聖ペトロ・パウロの祝祭日ということで、サンピエトロ大聖堂ではミサがあって、ローマ法王ベネディクト16世が話をされていました。
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今回の旅行では、ベニスとローマで多くの教会建築を見ましたが、内部が金色で装飾された派手なものが多く、ベルギーやドイツで見た聖堂とは随分と趣きを異にしています。

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サンピエトロ大聖堂  「ごめんなさい、免罪符でもうけた金で作りました」 宗教改革の引きがねですね。

その後は、見所を回りながら、もうひとつの目玉、円形闘技場コロッセオおよび周辺の遺跡群へ。コロッセオでは、剣闘士同士や剣闘士と猛獣の戦いだけではなく、猛獣に囚人を襲わせたりして観客を楽しませていたそうです。「グラディエーター」でも描かれてましたけど、悪趣味ですね。

IMG_5137.jpg
今では、闘技場には十字架が据えられています。

私のローマとの出会いは、小学校3年生くらいの頃、親に買ってもらった「クオ・ヴァディス」という本を読んだ時です。何度も読み返した覚えがあります。ネロ帝時代、ローマに大火があった頃の話で、キリスト教がテーマでした。私が良く覚えているのは、リギアを守る怪力ウルススのことだけですが・・・ 彼は素手で荒れる雄牛をやっつけることができます。

この話の最後に、キリスト教徒迫害から逃れるためにローマを離れようとしたペトロが、彼の前に現れたキリストに発した言葉が「クオ・バディス・ドミネ(主よ、何処へ行きたもう)」で、これが本のタイトルになっています。対するキリストの「今一度、十字架にかけられにローマに行かん」という言葉に、自らの行動を恥じたペトロは、キリスト教徒の残るローマに戻り殉教します。この時にキリストが現れたとされる場所がアッピア街道沿いにあり、そこにドミネ・クオ・バディス教会が実在しています。自分のなかで、小学生時代と今がローマで結びつけば面白いなと思っていたのですが、時間がなくて行けなかったのが唯一の心残りです。
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2006/07/07(金) 14:55:26 [旅行]

旅行初日はベニス。

ベニスへは、ロンドン・スタンステッド空港からRyanairで飛びました。到着はトレビソ空港、ベニスまではバスで1時間ほどでした。

ベニスに着いて、まずはホテルへ行くのにバスのチケットを購入。言われた通りに建物裏の乗り場に行ったら、そこはボートの発着場でした。ベニスの島内ではバスもタクシーもボートのようです。建設資材もボートで運搬してました。その後、私達もボートに乗って運河沿いの街並みを見たり、サンマルコ広場や本家「溜め息の橋」などを観光しました。

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きれいな街でした

ベニスで印象に残ったことは、

■路地
水の都ベニス、大小の運河が町中に発達しているのはもちろんのことですが、通りも同じです。大通りを少し外れると狭い路地が入り組んでいて、何度も迷ってしまいました。これまでどこに行っても、地図を見ながらしばらく歩くと方向感覚がつかめたもんですが、今回は違いました。

■マスク屋
やたらとマスク屋(っていうんですか?)があって、仮面の大産地の様相を呈していました。仮面舞踏会が盛んという訳でもないでしょうが。

■ゲットー
ホテルの近くにGhettoという場所がありました。昔ここはゲットーだったんだろうなと思って通り過ぎていたのですが(ゲットーというのはユダヤ人弾圧時の強制居住区のこと)、ユダヤ人強制居住区になったから地名がGhettoになったのではなく、ここの地名Ghettoがゲットーの由来なのだそうです。

暑い中を歩きつかれてぐっすり寝た翌朝は、鉄道でアペニン山脈を越えて、ローマに向かいました。

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